吉 田: 今見ていますと、皆さんばっちりメモされまして、真剣に聞いておられて、こういうクラスだったらいいなあと思ったところです。(会場:笑い)皆さんお集まりいただいて、きっと、平和という問題について、どうやったら達成できるのか、という強い関心をお持ちでここに来られたと思います。私も実は、もう40年くらいになりますか、会社に勤めていたのですけれど、毎日のようにベトナム戦争の写真が新聞に載りまして、たとえば裸になった子供たちが逃げ惑っているとか、こうやって隣の人にピストルを突きつけて殺す所が出たり、いたたまれなくなって会社をやめて、学校に戻りました。

 

何とか東洋の、あるいは日本の和の思想と、仏教の縁起の思想とか、そういうものを、アメリカ人にわかってもらいたいと、こういうことを考えて、学校に戻ってインド哲学や仏教をやりまして、そして、もう35年くらいになりますがアメリカに渡って、もう少し勉強を続けて、やがてセントルイスに禅センターを開きまして、ずっと朝晩、アメリカ人と座禅を組んで過ごしてきたのですが、最近ここ10年ばかり、日本に仕事の口がありまして、アメリカと日本の生活、半々ぐらいに行き来をしています。

 

日本では宗教学とか、地球倫理とかを教えています。今お話いただきましたけれど、そこにテーブルにもフライヤーがありますので、ぜひご参照ください。そういうことをやってアメリカに飛んで返って、すぐに朝晩また、アメリカ人と座ったり、あるいは刑務所を訪ねてみんなと座ったり色々やっているのですが、そういうわけで中々こういう話をする機会がないのですけれど、たまたまこういう機会がありまして大変ありがたいことだと思っています。

 

アメリカに行って、何とか平和をと思っている間に、日本の方でも平和が無くなってですね、だんだん非常にエゴイスティックな人間が大勢出てきて、まあニュースを見れば何も言う必要もないのですが、こういうことに関心を持って何とかしないといけないという関心がまた一方高まっていることは確かですね。

 

このテーマでありますスピリチュアリティと平和という問題が、今の世界の根本問題をあらわしていると思うんですね。というのは、心が無くなって、物と力に執着をして、自分さえ良ければいいと、エゴイズムが出てきて、そして戦争をおこす、テロが出てくる、環境を壊すという、さまざま地球問題群といわれるような、相互にすべて関係した問題群があらわれてくる。これを解決するにはどうしても、エゴを超えてエコ、もっと広い立場で、国家とか企業とかそういうものを超えて、全体の命、人間までも超えて、植物、山川草木、すべて一切との命の共同体であるという、大きな広い考えを持たなければ、もはやこの地球上の生命全体が破壊に導かれるという状況だと思うんですね。

 

これこそ、枠組み転換をしないといけない。大きな曲がり角に来ていると思うんですね。これがつまり精神革命。実は、宗教が出てきた、仏教が出てきた、今から2500年ぐらい前軸時代と言われるようにころっと変わったんですね。それまでの、農業をやってきて、生産革命(物の革命)をやり、都市をつくって、文明(都市化)により社会革命(力の革命)をした。そこで戦争とか、差別、搾取、殺戮というものが出てきた。

 

それを直すために仏教そのほかが出てきたのですけれども、中国、世界中にですね、そうして精神革命(心の革命)をした。それはまだごく少数の人間で、大多数の人間にまで行き渡っていなかった。でそれが今や、地球革命というか、生命革命(命の革命)を起こさないといけない、或いは、みんなが目を覚まさなくてはいけないという時に至ったと思うわけですね。

 

私は役割柄、仏教の教えを伝えるということになっているわけですけれど、仏の教えなのですが、根本は仏になる教え、ほとけになる教え、つまり目覚めた者になる教えなのですね。私は母が亡くなった夢を見て、床の中で泣いていたのですけれど、しかし目を覚ましてみると、それは夢であったとわかりほっとしたのです。

われわれ、夢の中で、悪夢の中でもがき苦しんでいますけれど、これはどんなに叫ぼうとしても叫べない。走ろうとしても走れない。目を覚まさないことには、これの解決ができないわけですね。仏陀というのは目覚めた人、それは悪夢から目覚めた人という意味です。

 

我々は眼を覚ましたと思っていますけれども、それぞれにやはり自我とか、国家とか、企業とか儲けとか、そういうものにとらわれて、偏見と俗の世界の見解。俗見で、やはり目が覚めていないんですね。「群盲象を撫でる」という、有名なお釈迦様の例え話がありますけれど、ある王様が、多くの目の見えない人達を呼んで一人ひとりその動物を、象を、さわらせて、どんなだったかと聴くと、縄のようだったとか柱みたいだったとか壁みたいだったとか言うわけですね。それでとうとう己の意見を通すために、喧嘩を始めた。これは目が見えないおかげで喧嘩を始めたわけですけれど、目が見えていれば全体像が見えるわけですね。目を覚まさないといけない。目を覚まさなければ決して我々は、解決することができない、ということですね。

 

そしてお釈迦様は、どういうふうに目を覚ましたかというと、この世の中一切のものは、じつは因縁によって起きている。因と縁ですね、直接的な原因、例えばもみから、間接的な条件、例えば水とか光とか、温度とか重力とか、そういうものが全部より集まって支えあって、稲が成長する。

 

と同じように、個人も心も命も、そして命全体も動いている、あるいは消滅する。ということなのであって、どこにも自我というような固定したものはない。ろうそくの炎は、一見、一定の形をしているように見えますけれども、蝋がとけて、一定の温度で、空気に、酸素によって燃えて、刻々に変わっているわけですね。

 

隅田川といえども、中には水が流れ魚が泳ぎ、岸が削れてゆく。それに隅田川と名前をつけて我々はこだわっているわけですけれども、あらゆるもの、国家といえど企業といえど個人といえど、すべてそういうふうに刻々に変わってゆく。一切のもののダイナミックな姿の中で変わっていく。現代の科学では、150億年前にビックバンが起きていると言う、そして様々な物質が出来て、その中に40億年前に命が誕生したと。

 

そして同じところから、同じ親からすべての植物も動物も、あらゆる生き物がこうやっていろんな形で生きている。しかし遺伝子は同じ形をしている。そして交換もできる。われわれみんな生きているものは、この内側にいる、あるいは外の樹も、飛んでいる鳥も、実はすべて40億才という、随分年寄りなのですけれど、こういうことに目覚めたならば、到底、相手を殺すとか、他の生命を痛めつけるなんていうことはできないはずですね。そこのところがわからない。

 

すべてが縁起、因縁のダイナミックな、無限の命。たとえて言えば自分は泡だと思っていますけれど、そうではなくて、空気、光、遺伝子、一切のものを考えると、実は大海原なのだ。一切が皆、つながりあった大海のようなものだ。これをあらわす仏教の例えが、帝釈網です。帝釈、インドラというのは印度の神話で一番えらい神様ですが、その神様が、宇宙に網を張っている。その網の結び目には、水晶の玉がついている。その水晶の球、ひとつを見ると、他の全ての水晶の玉が映っている。そのひとつの像を見れば、もちろんすべてが映っている。とこうやって無限にうつっている。

 

つまり、私たち一人ひとりに、遺伝子とか、あるいは他の一切の生物、あるいは宇宙、ビッグバン以来のすべてのものが反映されて、私たちは生かされているわけですね。そうしてみると、本当の命というのは、この皮膚をこえた、宇宙全体が本当の命だ。それこそ、もはや、死ぬこともない、病気にもなることもないという、すばらしい命なんだということがわかる。これが因縁生起、縁起というところから見える姿なのですね。

 

この因縁の法則というのは、科学でいう因果の法則と同じですけれど、科学は、対象を扱い、何とか自分の欲望に従って変えたいとか、そういうことをやりますね。常識というのも、自我があるという大前提で出発していますけれど、実際には、科学的に、あるいはもっと仏教的な深い見方からすれば、そういうものではない、みんながつながりあって、みんながダイナミックに影響しあって反映しあっている。

 

その一部の姿を見て、われわれは一部を見て、また自分の意見を通そうとか、あるいは自分の欲望を満たそうとか、我欲、そして我執によって、業をつくっていく。この業を、我々みんなが持っている、動物も持っていますけれど、それを止めないことには、やはり目が開けない、目が覚めない。それを止めるにはどうすればいいかというと、座禅をすればいい。

 

人間だけが言葉を持っていますから、嘘をつき、迷信深くもなるのですけれど、外の樹は、決して嘘をつかない、人殺しもしない。空気を与えて、鳥や虫に育てて巣を作らせて、そして宇宙一体となって成長している。星川先生から聞くところによると、八千年にもなる樹がカリフォルニアにはあるし、屋久島には多分、四、五千年ぐらいの樹があるのではないか。

 

人間はせいぜい生きても100年くらいですね。そういうふうにどっしりした所に座って初めて、真理というものが見えてくる。そこに初めて、平和、もはや何ものにもゆるがない、精神もゆるがない。戦争とかイデオロギーだとか、宗教だとか、様々なものにもゆるがない、そういう平和が築けるのだということが、実はお釈迦様が示してくださった。悟りを開いた後も、毎日毎日、座禅をしておられたのですね。

 

そうでないと、いつでも業があらわれてしまう。わたくしというものが芽をだして、日本人というものが芽をだして、そして戦争やなんかにつながっていく。あるいは、物と金がほしいというので戦争や何かにもつながる、環境破壊にもつながっていくというのですね。物と力、権力には限りがあります。それを買う金にも限りがあります。いくら金を出しても健康も幸福も買うことができない。ましていわんや、不死、死を超越することは買うことができない。どうしてもこれは心に寄らないといけない。心によって初めて悟りが開ける。目が開ける、目があく、目が覚める。そして、ああこうすれば平和が得られる、ということがわかるわけですね。

 

無限の命、無限の心という働きによって、初めて我々は本当の理解、了解、目覚めと、本当の平和、仏教の方では涅槃といいますけれど、これは、波風の立たない状態ですね。我々は、大海のような涙と血を流していますけれど、道元は言いました。われわれは、山河大地心を持たなければいけない。山や川や、大地のような心を。

 

今科学が示してくれたところは、我々命というのは宇宙なんだと。宇宙いっぱいの命なのだから。そういう心を持てば、環境問題も、人間の世界とか戦争とかそんなものも、すべて解決できるはずだということですね。

 

そこから私達は、今や国家とかそういうものを超えて、宗教とか、ましていわんや小さな泡を超えて、地球単位で、地球倫理という生き方をしないといけない。殺すな、盗むな、嘘を言うな。そして男女が平等に協同し合って、新しい世界を築いていこうというのが地球倫理です。何とかですね、これを早く大勢の人が目を覚まして、そして平和な世界を築けていければと思います。どうもありがとうございました。

 

会 場: (拍手)

 

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