上 村: ありがとうございます。ホピに関わったことで、あるいはその前の関係も含めて、自分を明け渡すというお話もありましたけれど、そのことも含めてお話をして頂きました。

それでは続いて、星川淳さんお願いします。

 

星 川: 皆さんこんにちは、星川淳と申します。東京に生まれ育ち、二十代の頃は国内外を動きました。海外は世界中というほどではなくて、インドに足かけ二年ほど、アメリカに二年ほど暮らし、そのあと最近二十三年は鹿児島県の屋久島という自然の素晴らしい島に住み着いて、自分たちの食べるものを納得のいく形で作ったりしながら、職業としては作家と翻訳家として65冊以上の本を手がけてきました。

 

テーマは時代によって少しずつ変わってきているのですが、最初は今日のテーマにも割合近い精神性や精神世界がきっかけです。もう亡くなりましたけれど、インド人のラジニーシさんという方の門弟として足かけ五年ぐらいすごし、彼の英語による講話録を日本語に訳すことから書き手としてスタートしました。

 

その後、自分なりのものを書いたり、ほかのテーマでも訳したりするようになりました。80年代はエコロジーとか環境思想とか、それから持続可能な生き方、持続可能な政策というような、最近の言葉でいえばエコっぽいジャンルを多く手がけます。90年代に入ってからはまた少し変わってきて、先住民文化の現代的な意味みたいなものを扱うようになりました。

 

それから、今日は何度も出てきますが、2001年の9.11事件を境にして、本を書いたり訳したりするよりジャーナリスティックな仕事、つまり今現在起こっている世界の政治とか外交とか、戦争と平和に関わる物事を、マスコミがあまりきちんと正確に素早く伝えていないということを強く感じるようになって、それならば自分たちでできる限りそういう題材を取り上げよう、と……。僕の場合は英語を読んだり使ったりすることができるものですから、必要な記事とか論文とかを日本語に翻訳しようと思いました。昔ですと、ガリ版で刷って本やミニコミにしていたわけですが、現在だとやはりインターネット経由でメールの形で流すと、非常に速くて安くて便利です。そういう仕事を、有志の皆さんと一緒にネット上のグループを作ってはじめました。名前はTUP、Translators United for Peace、つまり「平和をめざす翻訳者たち」といいまして、ささやかな独立系メディアの試みです。

 

その前にも、9.11事件の直後ですが、音楽家の坂本龍一さんたちと二週間くらいで『非戦』という本を作ったことがあって、これも同じく日本語できちんと伝えられるべきことが伝わっていないという気持ちがきっかけでした。ですから現在は、今お話したような精神性の分野とエコロジー・環境の分野、先住民の分野、平和や国際関係に関する分野などが、自分の中では全部混じり合って共存しています。

 

どうしてこういうことをやるようになったかを振り返ってみると、僕の世代は先ほど壇上に並ばれた先生方と近くて、でもいわゆる70年安保、全共闘の世代からはちょっと遅れた、そのおしりのほうの世代です。ちょうど思春期の頃が米ソの冷戦真っ盛りで、核ミサイルがいつ飛び交うかわからないという非常に緊迫した雰囲気の中で育ち、かなり感受性の強い子供だったものですから、それを真に受けてしまいました。東京育ちなので、頭上を旅客機やら軍用機やら、しょっちゅう色々なジェット機が飛ぶわけですね。そういう轟音を聴くと、「うわっ、あれはソ連のミサイルが東京を襲ってきたんだ。次の瞬間に、自分は核の爆発で溶けて蒸発して死んじゃうんだ」と本気で覚悟しながら生きていました。かれこれ十年近くでしょうか、二十歳くらいまでそんな気分ですごした、そういう世代です。ですから、戦争を知らないといいますけれど、僕は自分の世代を“瞬間戦の世代”と呼んでいます。そういう人がどのぐらいいるのかはわかりません。でも、たぶん僕だけではなくて、東西両陣営でかなりの人たちが、そういう気持ちで子供時代や思春期を送ったのではないかと思います。

 

その後、多くの人たちを核兵器廃絶の運動などに突き動かしたのは、そんな動機があったからでしょう。それともう一つ、世界が終わってしまうんじゃないかという危機感を本当に子供の頃から感じて育ちますと、マイナスな面はもちろんたくさんあると思うのですが、プラスの面としては、世界全体の運命を自分の運命として感じる、一体感を持つんですね。そのことが逆に、その後、たとえば環境的な問題とかで、世界全体を自分の問題としてすごく身近に感じて、それを何とかしたい、壊れてしまわない、滅びてしまわない世界をつくることに人生を賭けたいと、自然に感じるようになった下地なのだろうと思います。二十歳前からそんなふうに生きていこうという決心をして、その後ずっと、五十歳をとっくにすぎた今になるまで変わっていません。

 

今日は実のところ、春くらいから声をかけていただいて、わりと最近になってプログラムを見せてもらい、顔ぶれを見て、「いやあ、これはちょっと自分は場違いで苦手だな」と思ったのです。というのは、先ほどからお話ししてきましたように、いくつか自分の中で変化があって、あまり最近はスピリチュアルなことを表面に出さないし、強調もしません。むしろ黙っているようにしてきました。

 

なぜかというと、しばらくインドですごしたと言いましたが、その時期の最後の頃、どうも落ち着かなくなりました。結局インドを離れたのですけれど、足かけ五年くらい、ずっと内側の自分というものを見詰めることを集中してやった結果、それはそれでいいけれども、やっぱり今の世界というか地球上では、それだけでは半分じゃないかと感じるようになったんです。

 

たとえば、よく「自分が変われば世界が変わる」と言いますが、今の時代、地球上で環境の問題みたいなものは、自分が密室で瞑想をすることによっては変わらないんですよね。川や海を汚しているとしたら、汚していることをやめるというような物理的な行動を取らないと変わらない。

 

つまり今の時代は、人間が自然界に対して、あるいはそれとの関係で間違ったこと、病んだことをやっているのが、むしろ人間の心身に鏡のように映し出されて、病気だとかおかしな状態になっていることが、おそらく半分以上あるかもしれないな、と。そんなことをインドで感じるようになって、それで当時、そういうエコロジカルな科学とか応用生態学みたいなものが進んできたと思われるアメリカにもう一回行って、その種の勉強をはじめました。

 

もうひとつは、やはり先ほどから何度か出ているオウム真理教の事件が1995年に起こります。僕自身は今お話ししたとおり、もう精神世界的なものから離れていたので、そのときは特に決定的な衝撃を受けたわけではありません。しかしあとからジワジワと、自分にもすごい責任があるなと感じるようになったんですね。

 

というのは、ラジニーシという方をご存知の方はわかると思うのですが、かなり麻原がパクっていたようなことをたくさん含んでいる教えでしたし、70年代から80年代という時代そのものの中で、僕自身が語ったり書いたり訳したりしたものと重なる部分が多かったんです。

 

それで、なぜああいうものを生み出してしまったのかを、あとからジワジワと自分なりに反省し、考え抜いて、自分なりに一つ結論というか答えを見つけたと思っています。仏教やヒンドゥー教系の教えを学んでいらっしゃる方がここにたくさんいて、怒られるかもしれませんが、僕はこんなふうに考えました。

 

インド系の思想とか宗教性の中には、この世界や生死の循環というものを悪だとして、あるいは汚らわしいもの、否定すべきものとして、そこから完全に離れること、脱(ぬ)けることに至上価値を置く傾向が強いのではないでしょうか。解脱という言葉自体そうですよね。脱け出すこと、そこから離れることをめざして修行したりする。こういう大きな思考の枠組みをパラダイムといいますけれど、いわば「解脱パラダイム」がインド系の宗教や哲学の中に五~六千年にわたって根強くあった、いや、今もあると思うのです。

 

裏を返せば、この世界は本当の正念場ではないから、まあ、ある意味ではどうでもいいんだ、もっと本当の世界に向かう別の正念場がある、と。だからカースト制度のようなものがあっても、それを本気で何とかしようとはしなくていい。あるいは、たとえば環境問題のようなものも、あまりがむしゃらに変えようとしたり騒いだりするのは若気の至りであるとか、青臭い考え方だというふうに否定されてしまうのです。

 

されにオウムのように、この世界が汚れているのであれば壊してしまって、悟りの世界に行かせることが解答だというふうな考え方まで出てきやすいわけですね。反論はあると思います。仏教でも小乗、大乗、金剛乗と発展する中で、そういう弊害を乗り越えて、世界のすべてを自分ごとと受け止める菩薩の考え方、生き方が生まれたこともわかります。けれども、パラダイムのような大きな思考の枠組みとしては、インド系統の宗教や哲学は、どうもこの世界を本当には愛しきらない、本当には大事にしないところがあるんじゃないかと感じるようになりました。

 

ちょうどその頃、それとは対極的なものとして自分の中に沁み込んできて学びを深めたのが、この世界を本当にここだけしかないと思い定めながら、この世界を愛していく先住民の生き方、考え方です。ですから、今はその両方が見える。東洋の伝統的な宗教性や哲学の中にも、もちろん学ぶべきものがたくさんあります。

 

もう一方で、西洋の宗教性・精神性の中にもいいものがたくさんありますけれど、やはり1960年代ぐらいから、20世紀の後半に多くの人たちがそれを反省していった。キリスト教には、世界は神から人間に与えられ、人間が思うがまま利用していいというパラダイムがあって、その反省から色々な運動が起こりました。

 

ですから、西洋がダメで東洋がいいという考え方も僕は取りません。東西南北、地球上に残されているすべての伝統から学ぶべきものを学び、なおかつ、おかしいものはおかしいとして、疑問をもって見ていくことが大切です。自分なりに、あまりうんうんと頷くよりも、まず疑問を持って問うということが、この時代にはすごく大切ではないかと思っています。

 

会 場: (拍手)

 

上 村: まさに星川淳さんの一生をかいつまんだようなお話でした。

―――――(テープ切れ)

 

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