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仏教―真理平和の目覚め

「仏教」とは「仏の教え」であり「仏となる教え」です。「仏」とは「目覚めた者」という意味であり、「法に目覚めて生きる者」のことです。「法」とは一切の「現象」でありその「法則」でもあります。「一切の現象の法則」は縁起(因縁生起の略)です。例えば籾という因、原因から水、光等の縁、即ち条件によって稲が成長するように、一切の現象は因縁によって生起、消滅するということです。この普遍的真実と宇宙的調和に生きるのが仏であり、誰でも仏になれるのです。

仏教の根本法、縁起は科学の根本法である因果の法則とほぼ等しく、仏教は科学的真実と矛盾せず、衝突することもありません。縁起は言葉の通り、縁即ち条件に重点を置き、主体的に実存を根本的に解明し、実践を徹底的に追及して最高真実の知恵、悟りと絶対不動の平和、涅槃を実現するものです。籾は何時何処でも発芽成長するのではなく、相応しい条件が整ってそれが可能であり、因果を単純に直線的解釈をして、機械的、宿命的見方をしません。また、人間の無知、欲望に任せて対象を単純化、効用化せず、常識や科学より、広い視野と深い配慮を用います。

常識的見方は世俗諦(世間合意)と呼ばれ言葉や観念を疑いませんが、仏教ではこれも縁起したものであり、その表す内容も縁起したものと捉えて、一切の縁とダイナミックに関係しながら常に変化している実体のない、「空」と言う真実の姿を真実諦(真諦、第一義諦)といいます。例えば炎は一見、一定の姿であるように見えますが、蝋が蒸気になり酸素と化合して光と熱を出しているのであり、隅田川といっても水も魚も岸も刻々に変わっているのです。

同様に「我」というのは空気が無ければ一瞬にして無意識になり死にますが、詳しく見れば心身時空世界の縁起の中で無限にがり合い、刻々に変化しています。動物としての身体感覚、人間としての言語観念によって「我」は「他」から独立しており、「自己」として一定であり、変わらないと考えています。自他の思いは利害、苦楽、生死などの欲望、恐怖などに発展して行き、個人、社会、自然のなかで問題と苦悩を生みます。ここに人間 文明の問題が生まれます。

人間のみが言葉を持っているので社会を作り歴史を作ることができましたが、人間のみ嘘をつき、年をとるに従い迷信深くなるというのも事実です。人間は言葉や観念のために錯誤、束縛、差別、搾取、殺戮の惨禍を生み出してきました。人間は農業をはじめ、都市を作り、即ち文明を生み、階級、奴隷、戦争などを始め、何時の世にもある個人の苦、死に加えて社会、環境の苦、死を齎しています。物や力に囚われ、心と命を忘れ、文明系は生命系の癌となり末期症状を呈しています。大自然の真実と調和を壊しているのです。

これはある王が盲人達にある動物を触って報告するように言ったところ、縄のようだとか、柱のようだと言い張ってついには喧嘩が始ったという喩えの通り、人間は世俗に迷って、真諦を悟らず、平和を実現できないでいるのです。無知と悪業を止めて知恵と善業を実現する方法があります。

それが仏の根本実践である坐禅です。木は一切の生命系と共にあり、機能し、その生命を全うしています。唯坐って一切の行為、体、口、心の機能、過去からの業、習慣や遺伝的なものを止めることによって人間が業深いものであるか判り、業の風に泡立たず波風を起こさない大海原のような仏の世界が現れるのです。人も何千年の大木のごとく坐禅すると、全体的、根本的真理が見えてき、平和が達成されます。これは人種、性別、年齢などに拘わらず誰でもやれば出来るのです。

大自然界は法そのものであり、法界と呼ばれます。法界は一切の現象が世界を覆う帝釈網の結び目の水晶が無限に映しあうように縁起の網に繋がって映しあっています。科学は百五十億年前のビッグバン以来の宇宙生成と四十億年来の生命進化を明らかにしてきました。地上の一切の生物は動物、植物に拘わらず四十臆才の兄弟姉妹です。私達の命の真実は風水・山川・草木・日月一切と共に縁起している無限の時空に広がる大海原のようなもので、俗見の泡のようではないのです。これが悟りであり涅槃です。

「群盲撫象」の喩えの通り、時代、地方、伝統等の我見、我欲、我業に捉われる人は限りない欲望を限りある物や力で満たそうとしても無理です。心と命によってのみ無限の真善美聖が得られ、無限の知恵、博愛、歓喜、平和が得られるのです。人は目覚めない限り、悪夢の中でもがき苦しみます。目覚めて始めて悪夢と苦悩が夢に過ぎなかったと分かるのです。皆目を覚ましていると言うでしょうが、偏見、俗見に満ちていて物と力の奴隷となっているのです。幾ら物と力、それを買う金が有っても、健康も幸福も得られとは限りません。ましてや無限の心と命、究極の悟りと絶対の平安は達成できません。これは心によってしか得られないのです。人類は悪業報を止めて血と涙の大海を、山河大地心をもって皆共に自由と至福の大空に変えるべきです。死んでから仏になっても致し方ありません。皆が仏になれるのですから。石油や核で破滅しては元も子も無いのです。戦争や軍備に血祭りをあげるほど愚かなことはありません。心と世界は一つであり命とは大海原のように一体なのですから。

吉田 収

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