Archive for the ‘第一回目活動記録’ Category

05112720(23)

シンポジウムスタッフのみなさま、
「スピリチュアリティと平和」シンポジウム、本当にお疲れさまでした。そして、大成功おめでとうございます!!

シンポ4日前で売れていたチケットが86枚。一体どうなることかと心配しましたが、みなさんが精一杯ベストを尽くしてくださったおかげで、当日の参加者はなんと200名を越えました! スタッフ、ボランティアスタッフ、出演者もあわせると、ざっと総勢240名の超満員御礼。会場は熱気で一杯になりすぎて、窓を開けて外の風を入れていたほどでした。資料も、椅子も、追加に追加を重ねました。

もちろん、シンポジウムの成功は入場者数だけではありません。内容的にも素晴らしいものでした。詳細については、きくちゆみさんが記してくださっていますが、第1部の研究者、第2部の実践者によるパネルディスカッションともに、パネリストのみなさんそれぞれが、「自分が一体誰で、どんな考えを持って、何をしているのか? また、今のような考え方や生き方をするようになったきっかけはなんだったのか?」などご自身の体験を率直に話してくださり、とても親しみやすく、興味が持て、参加者との距離がグッと縮まりした。

第1部では、「スピリチュアリティ」、「公共的霊性」という概念を学問的に真正面から、しかもさまざまな宗教の立場から議論し、「スピリチュアリティ」が公共の場で議論される重要性や、緩やかなネットワークでつながっていくことの大切さ、「地球的平和」との関係が明らかになりました。

第2部は、沖縄のカミンチュ(シャーマン)比嘉良丸さんの祈りと祝詞から始まりました。彼からは、スピリチュアル以前に、まずは身近にいる人、家族、仲間と仲良く、平和に暮らすことの大切さや、心の目で世の中を見る大切さ、自然の中で、お互いに思いやって生きることこそが本当の豊かさであることなどを学びました。

辰巳玲子さんからは「自分を明け渡す」ことが「本当の自分になる」こと、アメリカの先住民ホピ族の精神文明(感謝すること、祈ること、押しつけないこと、謙虚になること、忍耐強くなること、すべてとつながっていることを意識すること)、丁寧に、誠実に、自分に心地の良いペースで、今に集中して生きること、豊かさとは人を信頼することなど学びました。

「世界全体が終わってしまうという危機感」を二十歳になる前から感じていた星川淳さん。その感受性に驚くとともに、スピリチュアリティとは自然であり、身近な当たり前な生き方であること、昔のことは参考にはなるが今通用するとは限らないこと、「緻密な分析、理性、行動」と「スピリチュアリティ」は車の両輪で、これらをバランスさせることの重要性、頑張ると余計におかしくなること、涙を大切にすることの大切さ、つまり「目に涙がなければ、魂の虹は見えない」という言葉をなど学びました。

これまで50冊ものスピリチュアリティに関する本を翻訳した山川亜希子さんからは、国も、アプローチも違えど、すべて言っていることが同じであり、それが「自分=魂の存在=宇宙自身=人間という形をとったスピリチュアルな存在」であること、スピリチュアリティとは本当に自分自身でありきること、平和との関連で言えば、必要であれば勇気を持って闘うこと、摩擦を恐れずに進むこと、そして何よりも謝ることの大切さ、そして、毎日が忙しく、余裕がない中で、スピリチュアルに生きるために、深呼吸を一日3回すること、空を見上げることなどを学びました。

1部、2部のパネルディスカッションを受けて、第3部では今活躍中のキーパーソンによるショート・スピーチと会場のみなさんからの質問、コメント、意見表明。会場中から次々と手が挙がり、それぞれの想いを会場全体で共有しました。

そして、3部の終わりは瞑想と歌。パネリストの山川さんによる心地よい瞑想で、今日の一日を振り返り、心に残った場面や言葉を思い出し、平和をイメージしました。そして、和水さんの心のこもった歌で感動的にシンポジウムを終えていきました。

このすべての場面での熱気、想いの共有、共鳴こそ、山川さんの言われる「ワンネス」だったのかもしれません。懇親会にもほとんどのパネリストも含めておよそ50名の方が参加し、いつまでたっても熱気が冷めやらない素晴らしいシンポジウムでした。

これもそれも、シンポジウムにご協力してくださったみなさんのおかげです。挙げる名前が多すぎて一人ひとりのお名前を記すことはできませんが、みなさん本当にありがとうございました。特に裏方でシンポジウムを支えてくださったスタッフのみなさん、本当にありがとうございました!

感謝を込めて
上村 雄彦

11月27日のシンポジウムから日にちがたっても感慨無量です。
バブ(Sumana Barua)さんの教えを伝えてくださいました。  
「スピリチュアリティと平和」のシンポジウムの時、
ぼくはバブSumana Barua) さんを会場で取り次いだので、
印象深く記憶に残っています。
バブさんの言っていること、実践していることなど、日本人として
心に染み込みました。
(Y・S)
= = =

  「いのちはレントゲンには写らない」 
             バブ(スマナ・バルア)さん

★アイデンティティーとは?

私達は足元、つまり、自分のアイデンティティーを忘れています。
なぜ、足元を忘れてしまっているのでしょう?
祖父母が苦労して私の父母を育て、父母も又苦労して私を育てました。
そうして、私は大学生になったのです。
便利な世界にいて、自分の根っこについて考えてみる事を忘れてしまいました。
もう一度、地域の中で生きていくために、足元を見つめ直すべきだ、と訴えたい。

今日は、最初にアイデンティティーについてお話します。

「わたしはだれなのか?
 わたしはどこからきたのか?
 どのようにしてここへきたのか?
 ここからどこへいくのか?
 どのようにしてそこへいくのか?
 そこでなににとりくむのか?」

私達はこういった人生におけるもっとも基本的な事柄を忘れているのです。
地域やムラがだんだんと街になって、関係性が希薄になり、
自分たちの足元を見直す事を軽んずるようになりました。

学生達には、このアイデンティティーの詩を書き写していただきます。
そして、くりかえしくりかえし考えてもらうのです。

自分の中に自分の声がある。
その声を聞くチャンスが、なかなか今の若者には無いようです。
しかし、自分の根っこ、アイデンティティーを見つめ直すべきだ、と
私は学生達に語っています。

★私自身のアイデンティティーについてお話します

私はバングラデシュの貧しい農村に生まれました。
田んぼの中にある、この写真の建物が私の小学校です。
12歳だったとき、近所のお母さんがお産のときに亡くなりました。
私の母も私の姉も泣いていました。
それを見て、
「女性がお産で死ぬなんて、とても悲しい事だ。
 よし、将来必ず医者になって、
 お産で女性が死ぬ事のないように村人のために働こう。」
と心に決めました。

私は今、日本の大学の医学部で教えています。
医学生達は、高校生の時、成績がよかった、勉強がよくできた、
ということで医学部を選んでいる。

なんのためになにをしているのか。
アイデンティティーについて考える習慣がないのかもしれません。

★仏教者の叔父から教えられた事

私の叔父は、仏教のお坊さんです。
一族の23代目として、全世界仏教者会議を召集し、
世界宗教者平和会議の創設理事を務めました。
京都の国際会議場にもよく来ました。
今の天皇陛下の結婚式に招待を受けたこともありました。

この叔父は私にとても厳しく教えて下さいました。
教えの一つにこんなことがあります。

「活動をお手伝いしたいのですが、どうしたらいいですか?」と尋ねると、
叔父は、「自分のできる所から、始めなさい。」と言ったのです。

自分には何ができるのか?
私は、中学生でした。
「自分の志、心の問題として考えてみなさい。」と、
課題を投げかけられました。

叔父さんは、毎朝、子どもたちに声をかけ、世話をしていました。
家族のないこの子どもたちの何人かは皮膚病がひどくなっていて、
ひどいにおいがして
誰も近くによりたがらない状態でした。

しばらくして、叔父さんが私にヒントをくれました。
「自分の体を洗うくらい丁寧に、この3人の子どもの体を洗ってあげなさい。
 それは、自分でできる仕事だろう。」

1週間毎日体を洗ってあげていると、この子どもたちは、すっかり私になついて、
毎朝私を待っていてくれるようになりました。
私は、心の満足を見つける事ができました。

私のはじめてのボランティア体験は、心の満足から始まりました。

★日本では外国人労働者になってしまった

私の兄は、その頃日本に留学中で、京都工芸繊維大学の大学院生でした。
兄に「医者になりたい」と言いました。

そして少しずつ日本語を覚えて、日本にやって来ました。
日本に来たら、医学部での勉強は専門、専門になってしまっていて、
電気も無いようなバングラデシュの私の村では、
使えないということに気づきました。

日本の医療技術は、日本の今の経済状態だからこれでよいのだが、
アジアの他の国でそのままでは使えない、と大変残念だったのですが感じました。
それで、他のアジアの国で勉強したほうがよい、と考えるようになりました。

日本では医学部に行かずに、「外国人労働者」になりました。
ほかのことではパイオニア(先駆者)になれなかった私ですが、
外国人労働者のパイオニアになることができました。

長野県富士見高原のゴルフ場で働いたり、
中央高速道の小淵沢インター建設工事で働いたりして学費をためました。
牧場で働く事もありました。
働きながら、自分の足元を見る努力をしました。

この頃の私は、このスライドのようにスリムでハンサムでしたよ。
稲刈りの仕事の後で、仲間と一緒にいるところです。
畑でジャガイモを作って、たくさんとれたので、
友人に「人間の先生になるよりも、ジャガイモの先生になったほうがいいよ。」
と言われたこともありました。

でも私はあきらめませんでした。

自分をさがす旅が始まりました。
私は20歳でした。
人々の中に入って、自分の道を見い出したいものだと考えました。

医者になる以前に、患者さんとして受診する人々の気持ちや生活のありようを、
理解しておきたかったのです。

トラックの運転助手をしているとき、東京から下関まで
11トン・トラックに乗って何度か往復しました。
この辺り(但馬)も通りましたので、懐かしく思い出します。

あるとき、東京で魚を食べたとき、とても美味しいと思いました。
そこで、友達に頼んで友達の親戚の北海道の漁師さんの船に
乗せてもらうことにしました。

2月半ばのことでした。
1年で一番寒いときに人々はどの様に魚を獲っているのか、
体験させていただきたかったのです。
とても楽しい4日間になりました。

人々の生き方から、いろいろ勉強させていただきました。

★「人々の中へ」

これは、中国の偉大な教育者、
晏陽初(イェン・ヤン・シュウ)(1893-1990)の詩です。

「人々の中へ行き、人々と共に住み、人々を愛し、人々から学びなさい。
 人々が知っていることから始め、人々が持っているものの上に築きなさい。
 しかし、本当にすぐれた指導者が仕事をした時は、
 その仕事が完成したとき、人々はこう言うでしょう。
 我々が、これをやったのだと。」

教育者の哲学だと思います。
学生が自分たち自身で努力しているのだ、と感じる位、
教師は表には出ずに後ろからサポートするのです。

渋谷先生が研究された晏陽初の事蹟を通して、
色平(いろひら)先生が渋谷先生方と出会った、と伺っております。
何かのご縁を感じます。

★レイテ島で

フィリピンのレイテ島では助産士として、
10年間村々を歩いて総計215人の赤ちゃんを取り上げました。

日本では、「地域おこし」「村おこし」などと、美しい言葉を使っていますね。
しかし、村づくりに取り組む事はそうそう簡単な事ではありません。
美しい言葉の中に
どれだけ自分たちの志、心根が入っているか、が重要だと思います。

レイテ島の学校では、
従来は、卒業して医者や看護婦になると
みんなアメリカ合衆国に行ってしまいました。

あるいは島にではなく、
都会の大病院で働くことを好む専門家が多かったのです。

フィリピンの教育者たちはこのような「頭脳流出」といわれる事態に対し、
何とか取り組まねばならないと考え、
私の学んだ特殊な医学校を設立しました。

村人の推薦で、彼らの信頼を受けた学生が、奨学金をもらって勉強します。
彼や彼女が学校で学んだ知識は、それぞれの村に持って帰って実践します。
学校と地域とを行ったり来たり往復している間に、
学生と村人との間に心のつながりができる。

このような社会契約を教育構想として、特徴ある医学校が設立されました。 
従来のように、看護の教育と医学の教育とが別個にではなく、
直線的に配列されています。

★助産士から医師へ

最初に助産士の勉強を終え、
その後看護士、保健士、医師へと階段状に勉強していきます。
それぞれのコースの間には、村で実際の活動に取り組みます。

日本の医学部では、医学を教科書で教えますね。
入学して、教科書の内容を先に覚えるのです。
次に、医療機器の使い方を覚えるようです。
そこでは、人間と人間が出会うことが、後回しにされています。

レイテでは、小グループで勉強して、
村の患者さんについてさまざまな角度から話し合いました。
討論しながら勉強するのです。
教科書に書いていない事柄についても、
村人の生活から直接学んできて、互いに質問を出し合い、
経験を交換しながら、学んでいくのでした。

★お水の大切さを教える

村の若いお母さん方に最初に教えるのは、お水のことです。
きれいな飲み水はどこにあり、どのように貯蔵して、
どのように飲むのかということです。

赤ちゃんに予防注射をしたかどうかだけではなく、
ここでは(医療者として)薬の処方や注射をするだけでなく、
人間全体を見渡した教育を目指しています。

健康教育では、お水の問題が中心になります。
きれいな飲み水を大切にする事によって、
途上国での病気はその70%が予防可能になります。

しかしこの事の重要性について、
なかなか大学の医学部では理解されず、取り組めておりません。

村々を回るときには、家族全員のカルテを持って歩きます。
又、赤ちゃんを取り上げるために、はさみなどの医療機器も持ち歩きます。
川が多く、橋がかかっていないこのような場所では、
このスライドのようにいかだで渡ります。

★戦争を知らない若者達

日本の医学生達を、たくさん受け取りました。
レイテ島は、戦争がひどかった場所です。
戦争が悪かったとか、誰が悪かったということより、
日本の若者はまず事実を知るべきです。

多くの日本の若者はレイテ島がどこにあるかさえ知らないのです。

あるとき東大の大学院生がレイテ島はどこにあるかと質問するので、
冗談で、佐渡ヶ島のちょっと北のほうだ、と答えたことがありました。
すると、彼は真顔で地図を見て、そんな島は載っていないと言うのです。
まったく困ったことです。

レイテ島の若者と日本の大学生たちとが出会う場を作ろう、と考えました。
戦争は戦争であったとしても、
その事実を知るためにこそ日本の学生達をお引き受けいただき、
ホームステイさせていただく活動にも取り組みました。

電気も水道もない村で人々がどのように生きているのか。
アジアの兄弟たちがどんな水を飲んで、どんな食事をして生きているのか、
と想像することができることこそ、
日本の若者にとって大事な勉強の機会になるのです。

村の教会を借りて、月に一回の巡回診療に取り組んだ時の写真です。
毎月のように子どもたちを診察しますが、
この機会をとらえて若いお母さん方と話をする事ができます。

お水の大切さ、などの基本的なことがらをお伝えします。
井戸のきちんとした管理の重要性、
水を沸かしてから飲む事、外から遊んで帰ったら、手を洗う事などなどです。

病院などのない地域ですので、
このように小学校の一室を借りて診察する事もありました。 

この道路は、当時日本軍が通った所です。
今はすっかり道が良くなっていますが、
こんな道路を4キロぐらい行ったところから
牛車に乗ってやってきたお母さんが2時間後に元気な男の子を出産しました。

自動車などは島にありません。
そういう地域で、夜中であっても赤ちゃんを取上げるために往診するのです。

医学生だった色平先生と一緒に、このような村を歩き回った事がありました。
色平先生は、「僕もこういうところで仕事をしたい。又、暮らしてみたい」
と言いました。そして今、二人で同じ仕事をつづけています。

★住民から見た日本

初めて日本の学生達を受け取るとき、村の一人のリーダーが
「自分が生きている間に、日本人の顔を二度と見たくない」と言いました。
日本軍に目の前で自分の父親が殺された、との事でした。

私はチャレンジだと考えました。

何度も何度もこのリーダーのご自宅に足を運び、説得にあたりました。
そして、「是非、一人学生を受け取ってください。」と頼みました。

村でのホームステイの最終日、このおじいさんは、別れ際に泣き出して、
「戦争は戦争でしかたない。これからは、いい友達になろう。」
と声をかけてくれました。

人と人と、街と街と、地域と地域、何をどのように、つなげていくのか。
人間と人間の心をつないでいく作業は私にとって、
とても楽しい大切な思い出になりました。

医学の教科書には書いていない重要な事柄です。

★人間として人間の世話をするために

バングラデシュは、洪水でとてもひどい状態になります。
水が少なすぎても、多すぎても大きな問題を起こしているのです。
市内の裏街のほうに行くと、とても貧乏な人々がいます。

皆さん、ご存知と思いますが、
発展途上国では、金持ちは考えられないほどの金持ちです。
とても隔差の大きな社会です。

このスライドのような場所、
スラムに住む子どもたちの公衆衛生状態や教育はどうなっているのでしょう?

皆さん、想像の翼を伸ばしてください。

バングラデシュの医学部で教えていたとき、
「村の中からこそ学ぶべきだ!」とアピールしました。
地域の中からこそ学ぶべきだ、と申し上げたのです。

「人間として人間の世話をする」体験は、
学生にとってとても大事な思い出になったようです。

若いお母さん方には、家族計画や健康な子育ての方法を教えました。
村おこしには、地域での健康づくり活動が含まれています。 

村々にボランティアを養成して、子どもたちのために村を歩き回りました。
医学部で教えながら、
地域活動している村人と協力して10本の井戸を掘りました。

きれいなお水の出るところに、人々はみんな集まってきました。
日本でも昔はそうだったかもしれませんね。

★おばあさんの教え

私のおばあさんが、「朝は、早く起きなさい。」と教えてくれました。
私が起きるようになったら、
「兄弟たちを起こしてあげる事が、次に大切なことですよ。」
と教えてくれました。

私はそのときには、この教えが十分に、理解できていませんでした。
この教えは、自分がなにかできるようになったら、
それを後輩たちに伝えることが次の仕事になる、という意味です。

おばあさんは私に、「教育」という一生の仕事を与えてくれたのでした。

★ぶつかってみないとわからない

ネパールで、あなたの家から診療所まではどのくらい遠いですか、と聞くと、
「すぐ近くです」と言うのですが、
実は歩いて1時間かかるという意味であったりします。

このスライドはネパールの川です。
誰かが頭を洗い、誰かが洗濯をしていますね。
飲み水をくみに来ている人もいます。
もしかすると上流の方では、おしっこをしている人がいるかも知れないのです。

お水は大切です。

村の人々に、「お水は沸かしてから飲むようにしてください。」と、
くりかえしくりかえし根気強く申し上げました。
健康に関する諸問題が、かなりの程度予防できるからです。

バングラデシュの私の村でもそうだったのですが、
人間は困難にぶつからないと気づかないものです。

村のお母さんたちが私に質問しました。
「バブが小さい時、川の水を飲んでいて元気に大きくなったというのに、
 なぜ私の子どもには井戸の水を飲ませたほうがよい、と言うのですか?」と。

あるとき、大きな台風がきて洪水になり、
周りの村の子どもたちが下痢になったのに、
井戸のある村の子どもたちは下痢をしなかったという事がありました。

お母さん方はその後でやっと、保健活動の重要性を理解してくれました。

数年前、神戸市の高校の先生方に講演した事がありました。
アジア各国の子どもたちの教育について、
そしてきれいな飲み水の重要さについて話してください、との依頼でした。

私は、お水は大切です、と講演の中で何回か申し上げたのですが、
後ろの方の席の先生が終了後立ちあがって意見をおっしゃいました。
「日本人は馬鹿なものではありません。
 一度言えばわかりますよ。お水は大切です。」
と、怒った様子でおっしゃいました。
私は困ってしまいました。

1年ほどして、神戸で大地震があって、
その3週間後くらい後で私の自宅に電話がありました。
あのときの先生からでした。
「バブさん、実は今日は謝りの電話です。
 私は去年のバブさんの講演会の後、意見を言わせてもらった者です。
 覚えていらっしゃいますか?
 今日はバブさんに謝りたい。
 私はこれまで毎日お風呂に入っていたのですが、
 あの地震の後、今日までの三週間、お風呂に入れずにいます。
 今、お水が大切である事が本当に理解できました。」
とのお話でした。

私はびっくりして、
「先生、お体は大丈夫でしたか?ご家族はいかがでしたか?」
とお尋ねしました。

つまり、人間はなにか困難にぶつからないと、気づかないものだという教えです。

だからこそ、学生達には、
「若いうちにこそ、できる限りたくさんの壁にぶつかっておきなさい。」
と強く申し上げています。

★いのちはレントゲンには写らない

中年の男性が患者さんとして診療所へ来ました。
日本のお医者さんたちは「どうしたんですか?」と聞いて、
「頭が痛い」と言うと、「はい、レントゲンを撮ってきて…、異常なし。」
これで終わりです。

おじさんは、奥さんとけんかをしたのかもしれないし、
酒を飲みすぎているのかもしれない。
急に仕事を首になったのかもしれないし、
また別の悩みをかかえておいでになるのかもしれないのです。

でも、このようなできごとは、レントゲンのフィルムには写らないのです。
患者さんと医師の対話の中でこそ診断が可能です。

ですから、学生達には、さまざまな壁にぶつかりなさい、
たくさんの人間に出会いなさい、と教えています。

人間として、人間の世話をする取り組みに意味を見出して欲しいのです。

★ベトナムの農村で

ベトナムの農村で、地雷のために左足がだめになった人にお会いしました。
彼は木で自分の義足を作って農作業をしています。

一緒にいた奥さんと娘さんは爆発で亡くなりました。
この人は、戦争中の次の爆発では右目をやられました。
そしてさらに、ハンセン病を発病して両手の指先がなくなってしまいました。
彼はこの状態で今も農業を続けています。

彼は、自分を見つめなおす事に取り組んでいます。
米を作って、自分と息子の分の食料をとり、
残りのすべてを村の人々に分かち合いながら暮らしています。

彼は、こう私に話してくれました。
「私は、もし家内と一緒に死んでいたら、なんにもならなかった。
 しかし、私は、今生きていることで満足です。」
彼は地域の人と共に生きていく事の重要性を、私に教えてくれました。
自らのアイデンティティーを見つめ直す事を教えてくれたのです。

現場に行くと、いろいろな人と出会うことがとても勉強になります。
地域の中には、たくさんの教えや財産があるのです。

★日本の小学校で

日本の小学校でお話をしたときの事です。
私はまず生徒たちに
「今日のお昼ごはんのおべんとうを半分食べて、
 おいしくなかったので捨てた人はいますか?」
と尋ねて、手を挙げてもらいました。

そして、アジアの貧しい国で子どもたちが食べ物を分け合って、
食べている様子を写真で見せました。
「あなた達の同じアジアの兄弟たちですよ。
 いただいたものは大切にして食べましょう。」

「次の質問ですよ。
 鉛筆を3本だけ持っている人はいますか?
 いない。

 それでは鉛筆を5本以上持っている人は?
 全員ですね。

 私が子どもの頃、鉛筆を買うことはできませんでした。
 母が竹のペンを削り、バナナの皮に書いて勉強したのです。
 こうして字を覚えました。」

そして、スライドでカンボジアの子どもが1本の鉛筆を持って、
有難うございました、と手を合わせている写真をお見せしました。

すると後ろでこの話を聞いていたお母さんが手を挙げて質問しました。
「先生、カンボジアの子どもたちに鉛筆を送りましょうか?」

このお母さんは、残念ながら経験した事がないのです。
ぶつかった事がないのです。
従来の日本の援助のやり方に似ています。

大切な事は、自分の子どもたちに鉛筆を大事に使うことを教える事なのです。

★子どもたちのために

私がいた頃87年のこと、レイテ島に大きな台風が来ました。
私は災害救援組織を作りました。
父母を亡くし、途方にくれている子どもたちのために、
安全な場所を見つけようと取り組みました。
安全な飲み水や食料を確保するために働きました。

このネパールの山の中の子どもたちは、
学校に行く時間なのに学校に行っていませんでした。
なぜ、教育の機会が与えられないのでしょうか。

彼らの将来のことを考えねばなりません。
教育の光が不足している所には、光を届けるための努力を傾けるべきです。

「我々は、多くの過ちや間違いを犯している。
 しかし、最大の過ちは、子どもたちを見捨てている事だ。
 その生命の泉を無視している事だ。
 多くの必要な事は、待つ事ができる。
 しかし、この子どもたちには、それができない。
 今、彼の骨が作られ、血が作られ、感覚が育っているのだ。
 この子に対して私達は、また明日ね、と言うことはできない。
 この子の名は、今日なのだ。」

★あいさつからはじめよう

あるロータリークラブで、講演したとき、
「自分のできる事から始めてください。」と申し上げました。
そして、「おはようございますと、声をかけられたことがありますか?
 近所の子供たちに毎日挨拶していますか?」とお尋ねました。

ある社長さんは、「知り合いの子にしか、挨拶していません」と、
お答えになりました。
「では、社長さん、明日から毎朝、子どもたちに挨拶しましょう。」と、
私は申し上げました。

私の母はあるとき、「目の前の人があなたの鏡なのだ。」と教えてくれました。

私は25年後の日本の国のことをとても心配しています。
あと25年経ったら、日本社会はどうなっているか。
25年経って、こういう国に暮らしていたい、
と具体的にお考えになってください。

今、自分たちのできる事は、子どもたちに挨拶をする事かもしれない、
と申し上げたい。

最初は周囲の人々は、このおじさんはどうしちゃったのかな
と疑問に思うかもしれません。しかし、
奥さんと一緒にスーパーに行ったとき、知らない家の子どもが、
「おじさん、こんにちは。」と声をかけてくれるかもしれないのです。
その子のお父さんが、「どうしてあのおじさんを知っているの?」
と子どもに尋ねたとき、
「あのおじさんは毎朝、おはようと声をかけてくれるんだよ。」
と答えることになるでしょう。

ですから、相手が、おはようと私に答えてくれるかを心配する前に、
25年後、こんな国に私は住みたいものだ、という将来に向けた理想を持ち、
現在において、その実現のための努力に取り組む事こそが、
今大切なのではないでしょうか。

バブさんのHP
http://www.hinocatv.ne.jp/~micc/Bab/01BabCover.htm

05112720(17)

おかげさまで、11月27日の「スピリチュアリティと平和」シンポジウムは、満員の参加者を迎えて、とても充実した内容となりました。日ごろ私たちは心の平和の大切さを言っていますが、研究者(主に宗教系)と祈りの実践者、そして市民を交えての今回の議論は画期的で、大変意義深いものになったと思います。ご参加いただいた皆様に心から感謝申し上げます。

この「スピリチュアリティと平和」という試みを広く伝えていきたいため、このシンポ専用のブログに、出演者やスタッフの皆さんの報告と参加者からの感想を掲載しています。今回は、東京平和映画祭との合同イベントということでもありました。それぞれの報告を、下記リンクからご覧ください。

05112720(43)

第1部のパネリストに出席しました稲垣久和です。

私も島薗先生とまったく同じ感想で、皆様から多くの学びと示唆を頂きました。関係者の方々に厚くお礼申し上げます。
さてその上で二つのことを特に私自身の今後の課題としてメモ的にしたためておこうと思いました。時間がないので本当にメモになってしまいますが。
1.スピリチュアリテイと平和が深く関係する分野であることが実感できたと同時に、この平和が内面的平和にやや傾斜していたのではなかっただろうか、という疑問です。
もちろん内面的平和がなければ外面的平和もないしそのような平和は意味あるものとも思えないのですが、少なくとも近代以降は、いや核兵器出現以降は、「戦争をしない」という意味での外面的平和をいかに形成するかが市民レベルでも大きな課題となってきていたはずでした。
したがってMLでも多くの方が市民としての政治参加がどのようにしてできるのかを盛んに議論していました。今回は、あえてこの面をセーブしたのか、この政治参加のレベルの平和運動の面がうまくスピリチュアリテイと絡み合っていなかったように思いました。私の事例で出した「マーテイン・ルーサー・キング」はこの点で内と外の平和運動が調和した典型的な例だったのですが(きくちゆみさんはコメントして下さいましたが)。

2.それと関係してスピリチュアリテイが公(=国家、政府)と結びつくことの危険性もたびたび申し上げたのですが、そしてそれが今、私たちの目の前に首相や閣僚の靖国参拝として存在しているのだということも申し上げたのですがあまり関心にはならなかったようでした。
これはあとで懇親会のときにお話していて気がついたのですが、靖国参拝問題は政治問題であってスピリチュアリテイとは直接関係ないと皆が受け取っているということのようでした。
もちろんこの問題は複雑で歴史認識や過去の戦争の評価にも関係してはいるのですが、しかしそれにしてもこの問題はスピリチュアリテイと平和(戦争)に深く関係しているというのが私の認識でありましたから。

3.フロアーからの質問者(イソップ氏?)から「自分たちとは全く異なるスピリチュアリテイを持った人々がいるときはどうなのか」と問いただされ、これが必ずしも親密でない他者との共存を求める公共哲学の本来の課題である、と思った次第です。私の答えは「対話するしかない、そうでなければ暴力になる」というものでしたが、上の2はこれとも関係しているようです。

ということでこんなことが私自身の課題として残されました。
感想とお礼まで、ありがとうございました。

<追記>
川西様
下記の点、まったく同感です。
「日本で受け入れられるスピリチュアリティーは心の平和であって、あまり社会性がありません。
それが癒しになってしまう一因でもあると私は思います。
宗教にしても同じで、心に平穏をもたらすものだと思われているんですね。
だから、「社会に向かう宗教」というのはなかなか理解されません。
心と社会との間に大きな壁があるのです。
内面の世界が閉じているんですよ。
これをどう乗り越えて「友愛」に向かうかが、これからの課題ですね。
一つには、スピリチュアリティーの中で言葉をもっと重視していくこと
ではないでしょうか。」

今後の課題は「社会に向かうスピリチュアリテイ」ということになるでしょう。もちろんこれが愛国心にならないように細心の注意が必要ですが。ムードで押し流されていくと怖いのです。だからやはり「言葉、対話」であり、自立した自我からの批判的社会参加ということになるでしょう。
批判的社会参加とはいっても、ここで大切なのが自分と異質な他者を受けいれ連帯を育む「友愛」です。これがフランス革命の自由(liberte),平等(egalite)と並ぶ fraternite とは異なるところなのです。
fraternite は語源からしても「友愛」というよりも「同胞愛」であり、これが強烈な同化作用をもった愛国心につながってしまった理由です。ここでの友愛は「隣人愛」「慈悲の心」「仁の心」のことであり、どうしてもスピリチュアリテイから湧き上がってくる国境、宗教を超える人間の人間らしさだと思う次第です。
これがフランス革命型とは異なる今日の21世紀型の市民社会の大きな課題でしょう。そういう意味でシンポでは日本人、ヤマトンチュ―以外の米国、オランダの方がたからも発言があったのは実に素晴らしいことでした!
今後に持続可能な平和運動になることを大いに期待します。

≫当日のレジュメ

川西玲子です。
今回のシンポは、二つの点で興味深いものでした。
一つ目は、「持続可能な平和運動」についての展望が持てたこと。
平和運動というとどうしても自己犠牲的な辛いイメージがあり、それが若者を遠ざけた原因の一つだと思うのですが、スピリチュアリティーという視点を入れることによって自己救済とセットになります。
こうでないと、今の日本では難しいかと。
二点目は、私の持論である「サブカルチャーとの連携」可能性が見えたこと。
ベトナム反戦運動があれだけの広がりを持てたのは、サブカルチャーと一体だったから。
つまり、生活に新しい価値観をもたらしたからです。
生活がびくともしないような平和運動は広がらないと思うのです。
そういう意味で、平和運動が「センスのいい生活」と繋がっていくといいなと考えています。

なお、稲垣さんがここで問題提起されていたこと、つまり、「このシンポで語られる平和が、内面的平和にやや傾斜していたのではなかったか」という点。
それは「言葉はいらない、人は繋がれる」という感覚に由来するものだと思います。
日本で受け入れられるスピリチュアリティーは心の平和であって、あまり社会性がありません。
それが癒しになってしまう一因でもあると私は思います。

宗教にしても同じで、心に平穏をもたらすものだと思われているんですね。
だから、「社会に向かう宗教」というのはなかなか理解されません。
心と社会との間に大きな壁があるのです。
内面の世界が閉じているんですよ。
これをどう乗り越えて「友愛」に向かうかが、これからの課題ですね。
一つには、スピリチュアリティーの中で言葉をもっと重視していくことではないでしょうか。

それから、小林さんが案内された南原繁と市民性教育についてのシンポジウム、
どちらも非常に興味があるのですが、雑用に追われてなかなか参加できません。
南原繁は私の尊敬する学者の一人だし、市民性教育は山谷えり子議員あたりに聞かせたい。

人権なないろミュージアム
 http://homepage2.nifty.com/sence/
ブログ Meke Your Peace
 http://mypeace.exblog.jp/

05112720(46)

仏教―真理平和の目覚め

「仏教」とは「仏の教え」であり「仏となる教え」です。「仏」とは「目覚めた者」という意味であり、「法に目覚めて生きる者」のことです。「法」とは一切の「現象」でありその「法則」でもあります。「一切の現象の法則」は縁起(因縁生起の略)です。例えば籾という因、原因から水、光等の縁、即ち条件によって稲が成長するように、一切の現象は因縁によって生起、消滅するということです。この普遍的真実と宇宙的調和に生きるのが仏であり、誰でも仏になれるのです。

仏教の根本法、縁起は科学の根本法である因果の法則とほぼ等しく、仏教は科学的真実と矛盾せず、衝突することもありません。縁起は言葉の通り、縁即ち条件に重点を置き、主体的に実存を根本的に解明し、実践を徹底的に追及して最高真実の知恵、悟りと絶対不動の平和、涅槃を実現するものです。籾は何時何処でも発芽成長するのではなく、相応しい条件が整ってそれが可能であり、因果を単純に直線的解釈をして、機械的、宿命的見方をしません。また、人間の無知、欲望に任せて対象を単純化、効用化せず、常識や科学より、広い視野と深い配慮を用います。

常識的見方は世俗諦(世間合意)と呼ばれ言葉や観念を疑いませんが、仏教ではこれも縁起したものであり、その表す内容も縁起したものと捉えて、一切の縁とダイナミックに関係しながら常に変化している実体のない、「空」と言う真実の姿を真実諦(真諦、第一義諦)といいます。例えば炎は一見、一定の姿であるように見えますが、蝋が蒸気になり酸素と化合して光と熱を出しているのであり、隅田川といっても水も魚も岸も刻々に変わっているのです。

同様に「我」というのは空気が無ければ一瞬にして無意識になり死にますが、詳しく見れば心身時空世界の縁起の中で無限にがり合い、刻々に変化しています。動物としての身体感覚、人間としての言語観念によって「我」は「他」から独立しており、「自己」として一定であり、変わらないと考えています。自他の思いは利害、苦楽、生死などの欲望、恐怖などに発展して行き、個人、社会、自然のなかで問題と苦悩を生みます。ここに人間 文明の問題が生まれます。

人間のみが言葉を持っているので社会を作り歴史を作ることができましたが、人間のみ嘘をつき、年をとるに従い迷信深くなるというのも事実です。人間は言葉や観念のために錯誤、束縛、差別、搾取、殺戮の惨禍を生み出してきました。人間は農業をはじめ、都市を作り、即ち文明を生み、階級、奴隷、戦争などを始め、何時の世にもある個人の苦、死に加えて社会、環境の苦、死を齎しています。物や力に囚われ、心と命を忘れ、文明系は生命系の癌となり末期症状を呈しています。大自然の真実と調和を壊しているのです。

これはある王が盲人達にある動物を触って報告するように言ったところ、縄のようだとか、柱のようだと言い張ってついには喧嘩が始ったという喩えの通り、人間は世俗に迷って、真諦を悟らず、平和を実現できないでいるのです。無知と悪業を止めて知恵と善業を実現する方法があります。

それが仏の根本実践である坐禅です。木は一切の生命系と共にあり、機能し、その生命を全うしています。唯坐って一切の行為、体、口、心の機能、過去からの業、習慣や遺伝的なものを止めることによって人間が業深いものであるか判り、業の風に泡立たず波風を起こさない大海原のような仏の世界が現れるのです。人も何千年の大木のごとく坐禅すると、全体的、根本的真理が見えてき、平和が達成されます。これは人種、性別、年齢などに拘わらず誰でもやれば出来るのです。

大自然界は法そのものであり、法界と呼ばれます。法界は一切の現象が世界を覆う帝釈網の結び目の水晶が無限に映しあうように縁起の網に繋がって映しあっています。科学は百五十億年前のビッグバン以来の宇宙生成と四十億年来の生命進化を明らかにしてきました。地上の一切の生物は動物、植物に拘わらず四十臆才の兄弟姉妹です。私達の命の真実は風水・山川・草木・日月一切と共に縁起している無限の時空に広がる大海原のようなもので、俗見の泡のようではないのです。これが悟りであり涅槃です。

「群盲撫象」の喩えの通り、時代、地方、伝統等の我見、我欲、我業に捉われる人は限りない欲望を限りある物や力で満たそうとしても無理です。心と命によってのみ無限の真善美聖が得られ、無限の知恵、博愛、歓喜、平和が得られるのです。人は目覚めない限り、悪夢の中でもがき苦しみます。目覚めて始めて悪夢と苦悩が夢に過ぎなかったと分かるのです。皆目を覚ましていると言うでしょうが、偏見、俗見に満ちていて物と力の奴隷となっているのです。幾ら物と力、それを買う金が有っても、健康も幸福も得られとは限りません。ましてや無限の心と命、究極の悟りと絶対の平安は達成できません。これは心によってしか得られないのです。人類は悪業報を止めて血と涙の大海を、山河大地心をもって皆共に自由と至福の大空に変えるべきです。死んでから仏になっても致し方ありません。皆が仏になれるのですから。石油や核で破滅しては元も子も無いのです。戦争や軍備に血祭りをあげるほど愚かなことはありません。心と世界は一つであり命とは大海原のように一体なのですから。

吉田 収

≫出演者プロフィール

ZAKIです。
関西方面ボランティアツアーから帰って来ました。
27日のシンポ、非常に有意義なものであったと思いました。
大きな成功と言えるのではないでしょうか。
これからどんどん”ちゃんとした”スピリチュアリティーが当たり前になって行くと思います。
あの日、自分のスピリチュアルな部分に関して話す時間がなかったのでちょっとだけ言います。

”世界中みんな幸せになるといつも信じ続けながら、(最幸の+思考)
ごちゃごちゃ考えず、大自然の流れのままに、
”体が自然に”動くままに生きてゆく。”
(空とか神の御心のままにとか言うのを宗教じゃない言葉で表現してみている)
って言う感じです。
それを”自然体”と表現しています。
新しい部分は、”世界中みんな幸せになるといつも信じ続けること”じゃないかと思っています。^^

ツアーの詳細は、自給自足ブログ、野生化の時代に書いています。
 http://zaki.seesaa.net/

「スピリチュアリティと平和~こころと世界をつなぐムーブメント」
地球平和公共ネットワーク・シンポジウム 来場者アンケート結果
 回答数:66 (集計:太田光征)

1.この催しを何でお知りになりましたか?
 ML          14
 個人メール      9
 チラシ         7
 新聞          1
 雑誌          0
 くちコミ        21
 その他        17
 無回答         0

2.ふだん、「スピリチュアリティ」と「平和」のどちらに関心がありますか?
 スピリチュアリティ  7
 平和          7
 両方         49
 無回答         3

3.今日のシンポはいかがでしたか?
 とても良かった    28
 良かった       28
 まあまあ        3
 普通          1
 良くなかった      0
 無回答         6

4.平和な世界を実現していくために、これから何をしていくことが必要だと思いますか?(複数回答可)
 まずは個人の平和を実現すること          49
 一人一人が身近なところから平和を訴えること  43
 広く市民に呼びかけること               25
 政治を変えること                    30
 その他                           8
 無回答                           0

5. (スピリチュアルな)平和活動について具体的なアイディアや活動経験はございませんか? 今日のシンポについての一般的なご意見、ご感想もどうぞ!

・今日は色々な方のお話を聞けて勉強になりました。ありがとうございました。楽しかったです。
 私たち人間は目に見えない世界中の人々の力や支えによって生かされ、宇宙の大自然の恩恵によって生かされていることを感謝して謙虚に生きてゆけたらと思います。
 感性を研ぎ澄まして真理を見極めてゆけたらと思います。
 今の日本は便利で豊かで有難いけど、少し過剰すぎる気がします。早く世界中の人々が平穏に暮らせるようになりますように・・・。ありがとうございました。

・大豆を大地にまき、座禅をやっております。また現在、団体で代表をしながら、多くの人に「気づき」と「キッカケ」の種まきをさせていただいています。
 人の心にまく種、自分のパートナーにまく種、大地にまく種、このバランスが取れるようになれば、豊かで平和な世界ができると確信しています。本日はアリガトウ。

・祈り

・牧師さん、イスラムのイマーム、妙本寺の方たちの話を中心に(宗教者)した会も、そのうちやっていただけたらと思います。ありがとうございました。

・続けてゆくことだと思います。この流れは大切なものだと感じます。素敵な人にお会いしました。こうした交流がまず大切だと思いました。

・(質問4について)できることはおしまず実行する。現在、人口64億人、21世紀半ばには80億人と予想されている。過剰な飲食は、現在飢餓にさらされている10億以上の人の食糧を奪っていることにどう気づいてもらうか?

・“意志表示”すること。すべてに“感謝”すること。

・平和を訴える音楽祭をしたい!ビデオ、DVD、上映会やトークを広げてゆこう!

・公共哲学という学問の分野で確立されることを願っています。

・私自身は、「戦わない殺さないゲーム」をつくる制作プロダクションを2001年会社として設立し、植林オンラインゲーム(ゲーム課金でプレーヤーが毎月1本ずつリアルな地球に木を植えることができる)を現在、PC版と携帯版で企画制作、運営しています。今年7月よりこの植林オンラインゲームと衛星画像ソフト(Google Earth)が連携した「植林ゲーム@Earthプロジェクト」を「愛地球博」より始動しました。来年のアースデイ2006に照準を合わせて、世界の人が「緑、ツナガル。」(アースデイ東京、グランドテーマ)植物のネットワークのようにつながりあうのを衛星画像で眺めるプロジェクトです。

・一人一人の意見を尊重する姿勢が貫かれて良かった。世代を超え国境を民族を越えてという佐藤美知子師の教えをよく守っておられるように感じ嬉しかった。小林先生ガンバッテください。

・草の根でペイ・フォワード式に啓蒙で∞に拡げてゆく。
 私自身はプロテスタントのクリスチャンですが、松浦悟郎先生のピース9の会で、カトリックキリスト教からすべての宗派・宗教・霊的活動のメンバー層へと広げていくよう動きをつくる。
 違う宗教同士で戦いあう宗教戦争の時代は終わった。21世紀は更なる霊的成長の時代であると思います。
 精神世界、宗教界の和解と一致協力、平和運動の大きなムーヴメントをつくること、世に公表すること、これのみが危機的状況を打開する唯一の道だと思います。理論から実践。
 その理由。機会を見つけては平和つくりの行動をしているが、同じ宗派の人にほとんど出会わないのに空疎感を覚えている。サマリア人の教えを体現する人が僅少である。
 「こころの授業」にこの公共哲学を取り入れるように、(今ちょっと「?」だけど)河合隼雄氏などを味方につける。
 ブッシュはクリスチャンじゃないと思います。キリスト教のことを何も分かっていない!逆証していると思う。

・本日はありがとうございました。自分自身の平和が家族の平和、周りの人の平和、すべての平和につながっていくと思います。

・自然農法を多くの方々と、モニター制度でやっています。最近は海外にも進出していっています。

・広く開かれたシンポをやっていくと、議論が広がっていくと思う。方向性をまとめなくてよいと思う。ただ、考え始めた個人に、情報と議論の場があれば、かなり有効だと思います。ありがとうございました。

・共感、共歓を得、大きな波となると確信しました。

・正直なところあまり期待していなかったが、参加してとてもよかった。そしてなにか幸せな気分にさせられたような気がした。これからも来年と言わず、月1程度、小規模でも企画してもらいたい。

・公共性というところが大切だと思った。社会という仕組みは、人と人が信頼しあってなければ、生きていけないのに、今は、その根本がくずれているので、これでは気持ちよく生きていけない。社会はつくづく信頼だと思ってます。

・平和学会理事・編集委員長になりました。次号の学会誌は『スピリチュアリティと平和』というタイトルで本を出したいと思います。皆様、ありがとうございました。

・一体感が感じられてすごくよかったです。

・すごく素敵な方のお話が聞けてすごくよかったです。また参加したいです。

・Peace Walk !

・自宅から会場へ全員で自転車(徒歩)で集合する(物質に頼らない)。
公共・・・公と公共の違いが素人平民には分かりません。広共という言葉はいいと思います。
霊性・・・精神性という言葉がよいと思います。
広共精神、広共意識。
 お金の取り合いの時代→時間泥棒。現代は個人の時間を奪われている。生命の大事さ。自然や他者、霊や魂、感じること、交流すること。知識だけでは、見えるものだけが全てではない。氷山の一角。水面下に気づくこと。

・現代の日本のマスコミ状況では、我々が置かれている本当の世界(沖縄やイラクなど)が分からない。真のジャーナリズムが必要。
 スピリチュアルとか公共的霊性とかいう言葉は、学者や研究者にとっては正確な認識を共有するために必要なのでしょう。でも平和への結集を目指す、というなら、その働きかけの対象として、普通の人々、あるいは森???さんの言う中産階級未満な私にはちょっと抵抗があります。

・感謝!

・モバイルのサイトを充実させる。

・行動に「平和」というお題目を立てることにはあまり賛成できません。目的がそれだととてもあいまいすぎます。むしろ行動するなら、具体的な事柄の実践を自分がすること、その理由をはっきり自分で保つこと。その行動する姿を周囲にPRしていくこと(押しつけ、啓蒙ではなく、「事実」を伝えて、相手にも考えてもらい、判断してもらう、その働きかけを続けていくこと)が大切であり、必要であり、有効であると思います。
 今日はありがとうございました。感想を述べさせてください。畜産動物の悲しい現状を知って、ベジタリアンになり、その後植物の殺傷も回避したいという理由でフルータリアン(実物野菜のみ食べる、自宅のみで、外食はベジタリアンです)に移行しました。生命に対する冒涜を避けたいと考えています。ゆえに自分で愛情をこめて育て、殺し、解体した肉については賛成という立場です。
 南北経済格差(児童労働や最貧国の債務問題、搾取的労働)、資本主義の行き詰まり、すべて生命に対する冒涜であり、その「現状」に対する無関心もしくはあきらめが根本原因であると考えています。
 スピリチュアルというととかく自分の内部に埋没してしまって、行動化につながらないという傾向があると思いますが、それはおそらく、本当の現実、自分がいま目の前にしているものが、どのようなプロセスで、どのような背景でここにあるのか、という現実(事実)を知らないし、知ったとしても代替の行動を知識として得られないことが大きいと思われます。
 代替知識で持って無関心、あきらめを打破していくこと、そしてそのバックボーンとして、自分の中にすべての生命への共感をもつこと(スピリチュアル)をガッチリキープすること、それが将来へつながる唯一の道ではないでしょうか。
 ちなみに、牛が一生に食べる穀物を飢えている国に送ることは可能なはずです。自分が肉を食べるときに、それが最貧国の子供たちを飢え死にさせているという自覚を、すべての肉を食べている先進国の人が持てるかどうか、自分のしている行動をそれで再考できるかどうか、スピでそれは可能と考えています。

・活動の原点である「何かしなくては!」という想いは魂からくるものだと思います。自分自身のspiritual指数を高めるとその感受性も高くなりますね。(当時は気づきませんでしたが)過去に何度か、被害になったものや相手の心を強く感じ、その気持ちを行動へと移していました。spiritualを知ることによって、自分の「心の平和」を保ちながら、行動することが大切だということを知りました。今日はこんなにも素晴らしいゲストのお話を聞かせていただき感謝します。

・やはり平和運動が戦争をつくっているように思いました。

・変革につながるスピリチュアリティとは何か。癒しではなく、社会に向かうスピリチュアリティを模索しています。あと、パネラーも会場の発言者も必ず長く話すので、それを折り込んで、もう少し余裕のあるスケジュールを組んだほうがよかったと思う。

・頭のかたい一部。やわらかい二部。帰ろうかと思ったが、二部がよかった。そして三部が一番すてきだった。ありがとうございました。

・地域通貨等の積極的導入による地域の自立。

・平和を望んでいない人もいると思います。軍需産業とか。人は自由なので、今は平和は実現しないかもと思います。でもいつか全員が平和を望むときもくると思います。待つ。信頼して待つ。それ以外できないと思います。平和が実現してもまた変化すると思います。

・共生、愛と平和が大事ですね。沈黙せず、市民としていろいろな形で意志表示(発言など)することが大切だと思う。市民の一人一人はどう考えたらよいか、報道(マスコミ)の状況(出版物を含む)にも影響されつつ迷っているのです。「平和国家」の国是が挑戦にさらされているのです。

・個人の内面の安定に満足し、外へ、世界へと足を踏み出さずにいては、われわれはただの傍観者になってしまう。また、「運動」の内側にいると「個人というものは時として破壊されてしまう。スピリチュアルと平和が共存するためにまずこの差異について少し話し合えれば――。

・草の根的に小さい運動が広がれば・・・

・良丸さんと聖地巡礼で個人の平和の祈りをしています。

・皆で話し合う場を持つことは大切だと思った。あちこちで数多く場を持つこと。テレビ、ラジオの番組などでこういう会の様子を放送するというのもいいのではないでしょうか。

・静かになって自分を見つめる時を待つ。

・本当の平和とはどういうことなのかを個人が理解すること、そしてその平和に向かって一人一人が考え、行動することが必要。
 人間自身が自然の一部であることを実感するところから始まると思います。スピリチュアルを何かの言葉でくくることは難しいと思います。人間が一人一人気づきをもっていく。そしてそれを実行できるようにすることで平和につながるのでは。

・スピリチュアルとは基本的に一人一人の問題だと思います。自分と他人や自然は別のものだと思わず、つながっているということを理解すれば、人を傷つけたり、環境破壊にむすびつくような行動は自然にしなくなり、平和に結びついていきます。「言葉」で他の人を変えるのは難しいと思います。「生き方」で示すしかありません。従ってまず自分が変わり、毎日の生き方を通して、他の人に伝えてきたいと思います。

・スピリチュアルの道に入る人は何かに導かれて進み始めるのだと思います。ひとり一人がプロセスも異なるとは感じるのですが、このような機会を作り、ゆるやかな連携の場を続けるうちに何かが進んでいく気がしています。

・もう少し人を絞って時間をとったらどうでしょうか。比嘉さんのお話もっと聞きたかったです。

紫ノ木杏です。
スタッフの皆様本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

本当にたくさんの方々に支えられ、定員を超えた参加者と素晴らしいシンポジウムが出来たこと、このスタッフに関われたこと嬉しく思います。
比嘉良丸さんに快く快諾していただき、当日も上手くいくかドキドキしてましたが余計な心配だったようで本当に良かったです。
良丸さんは終了後そのまま連れてきていただいた、かのこさんの家に泊まり翌日から関東巡礼にまわっています。

良丸さんのつながり、そして、和水さん、あだっちさん、Silent Rootsさん、あらりんさんともつながっているかみんちゅネットワークの仲間達、ミクシイなどを通じて10名ほど参加してくれました。なかには巡礼もかねて上京してきた方など沖縄や四国から来られた方もいらっしゃいました。当日スタッフとしてもお手伝いいただきました。本当に有り難かったです。また、終了間際に愛媛すぴこんからとんできたすぴこん事務局のテディさんこと小泉義仁さんともお会い出来て嬉しかったです。

当日は受付にいて、特に第一部のお話はほとんど聞けなかったのでいずれビデオが出来ればじっくり見たいなあと思います。
最後は熱気に溢れた一体感をも味わい、ゆみさん推薦のバタフライの本に書かれているように違うジャンルの方々が同じ平和を目指す目的のもとに一つにどんどんつながっていくのを感じました。

山川さんの瞑想では、ただ脳裏に浮かぶのは「愛」(何故か漢字)だけで光を発しながらたくさんの無数の世界中の人々が手をつなぎ輪につながっていくヴィジョンをみました。それはきっと実現するだろうと思っています。
また、和水さんの歌は何度聴いても涙が出てきますね。

今後も平和映画祭も含めてスピリチュアリティと平和という両方のテーマがもっと広く浸透していくように願っています。
私はその両方を行き来しながら、その橋渡しが出来たらと思っています。
よろしくお願い致します。
☆ご縁に感謝☆全てに感謝☆

Apricot’s room 紫ノ木 杏
 http://www5a.biglobe.ne.jp/~anzu-s/
ANZUのきまぐれ雑記帳☆ ~ピースイベント終了
 http://anzu-shinoki.at.webry.info/200512/article_1.html

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    スピリチュアリティと平和
            ――こころと世界をつなぐムーブメント――

    地球平和公共ネットワーク・シンポジウム 2005 No.2
       ~ 東京平和映画祭 for youth 合同イベント ~
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環境、戦争・テロ、貧困など、社会の不安が高まる中で、スピリチュアリティに関心をもつ若い人が増えています
この流れを平和への希望に結びつけることはできないでしょうか?
さまざまな立場の研究者・実践者をお招きし、スピリチュアリティの意義を探ることで、新しい平和の動きを創っていきたいと思います

■日 時: 11月27日(日) 13:30~20:00

■会 場: 全国教育文化会館エデュカス東京 7階大会議室
       東京都千代田区2番地12-1 地図

 当日プログラム

 11・27シンポジウム(詳細)

 出演者プロフィール(詳細)

 シンポジウムに向けて(小林正弥)

 「スピリチュアリティと平和」

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