日本憲政史上初の「選挙による政権交代」:「友愛革命」への起点となりうるか?
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1.選挙による政権交代の歴史的意義:福沢諭吉のビジョンの達成
2009年8月30日の衆議院選挙で、民主党308議席(193議席増)、自民党119議席(181議席減)というように、民主党が歴史的な勝利を手にして、政権交代が実現した。自民党の大物政治家が次々と落選する結果は、衝撃的ですらあるだろう。鳩山党首をはじめ、この大政治変動を「革命的」と感じる人も少なくはない(1)。そこで、この歴史的意味と位置づけについて述べてみよう。
まず、新聞などでも言及されているように、日本政治史上初めて、選挙によって野党が勝利して過半数を獲得し政権交代が起こったという点で、この選挙の歴史的意義は計り知れない。この点には、ほとんどの良識ある政治学者や評論家が同意するであろう。
議会における選挙によって政権交代が起こることーーこれが、民主政治の要であることは改めて言うまでもないだろう。これは、すでに明治時代に福沢諭吉が提唱したことであった(『民情一新』1879年)。しかし、この民主政治の基本がこれまで130年も日本では実現していなかったのである(2)。
戦前にも議会政治や政党政治は短期間ながら実現して、政友会と憲政会(民政党)という2大政党による政権交代は行われた(1924-1932年)。しかし、この場合は、選挙結果によって政権交代が起こったのではなかった。まず政党のスキャンダルや政権の行き詰まりなどによって政権が崩壊し、それに対して元老などの推薦により「憲政の常道」によって大命が第2党に降った。そして、新政権が総選挙を行って、利益誘導などによって政権党が第1党となったのである。
戦後は、55年体制が成立して以来、自民党の優越政党制が持続した。これが初めて崩壊したのは、細川連立政権(1993年)の時であるが、この原因は、自民党の内部崩壊であった。それまでの自民党を支配していた最大派閥(経世会)が分裂し、宮沢政権は衆院を解散したが、小沢氏らが脱党して新生党を作ったために過半数を獲得することができず、自民党は下野したのである。だから、これも「選挙によって野党が増加し過半数を獲得して成立する」という意味における政権交代ではない。そして、この政権はわずか9ヶ月で瓦解し、自民党と社会党(社民党)が連合した村山・橋本内閣を経て1999年に自民党単独政権(小渕内閣)が成立し、翌年から公明党との連合政権が成立して今日まで持続した。だから、今回の政権交代は、明治憲法発布以来の120年間に及ぶ日本憲政史上において、まさしく初の選挙による政権交代と言えるのである。
人びとがその自由意思によって政治を形成し変革することができるということは、近代政治の根幹であり、日本人がこのことを自覚し政権交代を実現したということには、非常に重要な意義がある。もし新政権が細川政権の轍を踏まずに、一定期間持続すれば、55年体制以来持続してきた恩顧主義的(親分―子分的)な政治構造(「政党―官僚―業界団体」の鉄の三角形)が相当程度崩壊することになろう。これは、日本政治の構造的変化を起こす可能性が存在する。また、外交方針によっては、日米関係やアジアとの関係に相当大きな変化が生じる可能性もある。
2.日米政治の大転換:悪しき政治からの脱却
ここまでは、多くの政治学者や評論家も同意見だろう。筆者は、これに加えて、2つの点を指摘しておきたい。
第1に、この選挙結果は、小泉政権時代の総選挙の結果を覆すものであり、2007年の参議院選挙に続いて、小泉政権以来の政治的動向が国民の意思によって全面的に斥けられたということである。小泉・安倍政権は、イラク自衛隊派遣や教育基本法改定に現れているように、政治的には軍事化を進め、平和憲法を放棄する方向へと国家を誤り導いた。また、経済的には、ネオ・リベラリズムと言われる思想によって、市場経済を絶対化して、郵政民営化に象徴されるような規制緩和・民営化路線を推進した。福田・麻生政権はこの路線を若干は修正していたとはいえ、基本的にはこれらの路線の継承者である。
この政治・経済双方の路線が破綻し、選挙の民意によって否定されたのである。安倍政権の自壊によって、すでに憲法改定は頓挫した。民主党にもタカ派や改憲論者はいるけれども、少なくとも現時点では憲法改正を政権の課題としてあげる声は聞かれなくなった。また、昨年来の世界的金融危機によってネオ・リベラリズムの破綻も明確になって、貧困問題・年金問題・高齢者医療問題などに象徴されるように、自民党から人びとの心が離れ、民主党に支持が移行した。
このような変化は、ちょうどアメリカにおけるブッシュ共和党政権の終焉とオバマ民主党政権の成立という大転換と対応する。筆者は、9・11以来の「反テロ」世界戦争の危機において、ネオ・コンに主導されたブッシュ政権の「新帝国主義」やその戦争政策と、それに協力した小泉政権を厳しく批判した。この路線はすでにアメリカにおいて民意によって否定されてオバマ政権が成立しているが、それに続いて遂に日本でも根本的な政治的変化が生じたわけである。
これらによって、世界と日本は大きな危機を一つ乗り越えつつあると言って良いだろう。もちろん、地球環境問題をはじめとする世界的危機は、決して去ってはおらず、まさに私たちが取り組むべき課題として屹立している。けれども、少なくとも世界を大戦争に導き、さらに環境問題を無視して環境破壊を続ける勢力が大きく後退したことは間違いない。アメリカと日本の双方における政権交代は、世界が悪しき政治を持続し、最悪の政治に陥っていくことを回避するものとなった。残念ながら、これからも引き続き地球的危機は襲い来るだろう。けれども、それに立ち向かい、それを緩和するような政治的理念を持つ政権が成立したことは大きな意義を持つだろう。
3.友愛政治の意義:理想的政治への起点
第2に、この政権交代は、オバマ政権と同様に、単に悪しき政治を脱したというだけではなく、新しい理想の政治に向かう第1歩となりうると思われる。民主党のマニフェストには反映していないけれども、新首相となる鳩山氏は「友愛の政治」という理念を掲げて、後述のように、それを大きな政策の理念ともしようという考え方を持っているように見える。
「友愛」という理念、さらに愛そのものは、西欧ではギリシャ以来の理念であり、キリスト教や神秘主義において発展し、近代においてはフランス革命のスローガンにもなった。さらに、西欧に限らず、たとえば儒教における「仁政」の理念に現れているように、東洋でも人道主義的な政治は最重要な政治的理念の一つだった。その理念が政治において復活したことの意味は少なくはない。
鳩山氏は、この理念を祖父の鳩山一郎から受け継ぎ、それはクーデンホーフ・カレルギー伯爵の「友愛革命」という思想に由来する。しかし、これは鳩山家の理念というだけではなく、鳩山氏はそれを自分自身の信念に基づいて堅持しているように見える。鳩山夫人はスピリチュアルな世界観を持っており(3)、鳩山氏自身も、目に見えない実在の存在を信じることを公言しているのである。だから、その「友愛」は、何らかの意味におけるスピリチュアルな世界観に立脚した精神的な理想のように見える(4)。
このような精神的理念が現実政治において復活したことは、上述の政治的状況の中で必ずしも偶然とは言えないだろう。戦争は愛の対極にあるし、ネオ・リベラリズムの経済路線は、成長・効率化を至上視する物質主義的なものだからである。これらに対し、「友愛」という精神的理念はその対極にある。
オバマ政権は、核廃絶の理想をアメリカ大統領が公言したという点で、画期的なビジョンを示した。これは、従来の政治的常識から見れば、ユートピア的な理想である。これと同じように、「友愛の政治」という理念も、本気で追求し実現するのならば、それは従来にないユートピア的な理想を提示するものである。このような理想の世界を「友愛世界」と呼ぶことができよう。
鳩山氏自身も、最近公表した「私の政治哲学」において、鳩山一郎が影響を受けた「友愛革命」から説き起こし、自らは「友愛」を「自立と共生の原理」と再定義した、とする。そして、現時点では「友愛」はグローバル化する現代資本主義ないし市場原理主義の行き過ぎを正し、国民経済との調整を目指す理念であるとして、グローバリズムによって切り捨てられてきた経済的諸価値に目を向け、「人と人との絆の再生、自然や環境への配慮、福祉や医療制度の再構築、教育や子どもを育てる環境の充実、格差の是正」に取り組んで、「衰弱した日本の『公』の領域を復興し、また新たなる公の領域を創造し、それを担う人々を支援していく」とする。そして、「友愛」が導く国家目標として、「地域主権国家」「東アジア共同体」「アジア共通通貨」などを挙げている。
ここでいう「新たなる公の領域」を「公共」と表現すれば、この理念や政策はほとんど筆者の主張する公共哲学の考え方と一致する。東アジア共同体の理念は、クーデンホーフ・カレルギーの汎ヨーロッパ思想にも対応しており、「友愛外交」ともあわせて、ユートピア的な響きを持つ。現に、この文章は、クーデンホーフ・カレルギーの「すべての偉大な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、現実として終わった」というような文章を引用して終わるのである(5)。
面白いことに、民主党の支持者の中には、戦前の「友愛会」に始まる労働組合(同盟―民社党)系列のグループも流れ込んでいる。「友愛の経済学」を提唱した賀川豊彦は、協同組合をはじめとするキリスト教的社会主義の思想と実践を行ったが、彼もこの系列に近い。だから、上流に属する鳩山氏の「友愛」思想だけではなく、労働組合や生協などを担い手とする民衆的な「友愛」の流れも含めて、日本における友愛思想や運動の系列は、期せずして民主党の側に結集しているのである。
だから、「友愛」、さらには「愛」という政治的理念が、今回の「革命的」な政権交代において輝くということは、必ずしも不自然ではない。日本の政治史上初の「選挙による政権交代」が「友愛」の理念のもとに行われたということは、決して少なからざる意義を持つように思われる。
4.友愛革命への可能性:新政権を超えて
もちろん、だからといって、「友愛世界」への「友愛革命」が鳩山政権によって十全に遂行されるというわけではないだろう。そもそも、民主党のマニフェストには「友愛」という文字すら存在しないから、「友愛」は新首相の政治理念ではあっても、民主党の政治理念ではない。そして、民主党内には、この理念に共鳴する人も存在するものの、それは必ずしも多数ではないかもしれない。
それどころか、実際には小泉時代以来の戦争協力政策や改憲路線、ネオ・リベラリズムに加担していた政治家も多数存在するのである。改憲派の議員の数は減少しているものの、なお警戒が必要なことは明らかである(6)。だから、社民党などとの連合政権が実現することは重要である。筆者としてはそれによって、平和憲法を維持するとともに、新政権が平和の理念を積極的に実現することを期待したい。そのような連合は「友愛平和連合」と呼べるかもしれない。
それにしても、民主党内に多様な政治的立場が存在していて、党としての明確な理念が存在しないことは周知の事実である。一定の時期が経つと、この内部の対立が顕在化して政権が動揺したり瓦解したりすることも十分に考えられる。連合政権となれば、社民党をはじめ他の政党との意見の相違がきっかけになって政権が動揺するかもしれない。また、自民党から離脱して合流した政治家も多く加わっており、小沢氏をめぐる西松建設問題のように、政治腐敗問題やスキャンダルが露見して政権が窮地に追い込まれることも十分に考えられる。
さらに、鳩山氏自身の政治理念としても、またその政治的実践としても、「友愛」がどこまで実質的な意味を持つかどうかということも、問われるところである。鳩山氏は再び民主党代表になってからは改憲を主張しておらず集団的自衛権の行使にも否定的なように見えるが、かつては集団的自衛権の行使を容認する9条の改憲論者だった(7)ので、平和主義者からはこの点が危惧されている。また「友愛」が単なるお題目ではなく現実の政治や政策を動かす理念となりうるかどうか、ということが未だ明確ではない。
これは、鳩山氏の演説や訴えが、オバマ大統領のようには人びとを感動させたり希望を抱かせたりするまでには必ずしも至っていないことにも現れているだろう。多くの人びとは、麻生首相や自民党に失望したから民主党に票を投じたのであって、民主党自体の輝きに感銘を受けてそうしたのではないのである。
だから、これらの弱点が現れれば、鳩山新政権は瓦解し、その「友愛の政治」という理念も一緒に地に堕ちることになりかねない。民主党の内部で「友愛」とは無縁な政治家が権力を掌握することも考えられるし、自民党が復活して再び保守政権が成立することも十分に予想できる。
もっとも、このような政権の転変は、冒頭に述べたような民主政治や政党政治から見れば、むしろ常態であり異とするにはあたらない。福沢の提唱、そして海外の通常の民主政治は、このような政権交代が選挙によって行われることであった。しかし、「友愛の政治」、そして「友愛政治」という理想から見れば、そのような政権交代を繰り返すだけでは不十分である。いかなる政治的過程を経るにせよ、紆余曲折を辿りつつも、「友愛」、そして「愛」という理念が政治的世界において顕現してゆくことが重要である。
イギリス革命にせよ、フランス革命にせよ、いかなる革命も、その十全なる展開には、幾つかの段階や様々な転変を経て実現していく。仮に「友愛革命」が日本において実現するにしても、その実現にあたっては、たとえば数十年の期間にわたって紆余曲折が必要となろう。それは鳩山新政権によって完遂されるものなどではなく、遙かにそれを超えて展開していくべきものである。新政権というだけではなく、民主党といったような現在の政党をも超えて、様々な新たな政治的グループが生まれ、明治維新の場合のようなダイナミックな激動を経て、絵巻物のように実現してゆくべきものである。
日本政治史上初の「選挙による政権交代」は、福沢以来の政治的理想がおよそ100年を経てようやく日本に実現したことを意味する。これで、日本は近代的政治、その民主政治という理念に到達した。それと同時に、改憲によって「戦争ができる国」にしようとする最悪の政治を回避することにも成功した。
だから、今後に問われるのは、このような悪しき政治に戻ることなく、逆に、通常の「民主政治」の水準を超えた理想的政治に向かって歩んでいくことができるかどうか、である。
このような「友愛世界」への「友愛政治」は、鳩山新政権だけによって実現できるものでは到底ありえないだろう。しかし、そこに至る雄大な歩みがここから始まっていくかどうか。鳩山政権が、その名誉ある役割を担いうるかどうか。これが、政権交代以後の日本政治に問われていることである。
(1)鳩山氏は選挙戦のキーワードとして「革命」を挙げた。衆院解散の7月21に党両院議員総会で「政治主導で新しい日本の政治を起こす。大きな革命的な解散・総選挙だ」とし、29日の東京・池袋で最後の訴えを行った後では「革命的なうねりを感じた。明治維新以来の大きな変革を自分たちで成し遂げようという大きな胎動を、ものすごく感じた」と語った。『朝日新聞』8月31日、2面。
(2)たとえば、坂野潤治「経済教室 明治以来の悲願 実現の時」(『日本経済新聞』、2009年7月28日)。
(3)この点は大衆的雑誌や右派的雑誌などからは、「オカルト的」と揶揄されている。鳩山幸、池田明子『私が出会った世にも不思議な出来事』(学習研究社、2008年)、鳩山幸『鳩山幸のスピリチュアルフード』(扶桑社、2004年)、塩原洋子、鳩山幸『魔法のつえ見つけたーー天使の贈り物The Gift from Angels』(扶桑社、2001年)。
(4)もっとも、スピリチュアルないし宗教的な世界観に立脚する政党や政治家がいつも「友愛の政治」を主張するわけでは全くない。公明党は自民党と連合していて惨敗したし、今回の総選挙で1議席も獲得できなかった幸福実現党は、北朝鮮先制攻撃・憲法改定などのように、自民党主流よりも過激なタカ派的主張を行って民主党を批判した。
(5)『Voice』9月号、「私の政治哲学」、132-141頁。ニューヨーク・タイムズ(電子版)の英語論文「日本の新たな道」(8月27日)は、この論文を縮約したものであるが、アメリカでは、グローバリズム批判や東アジア共同体構想などが、アメリカ離れと受け取られて物議を醸した。
(6)ただし、安倍政権の自壊以来、国会においても改憲を志向する議院の数は、総数においても民主党内においても減少している。たとえば、朝日新聞の調査では、当選議員の中で、憲法改定に賛成は31%、「どちらかと言えば賛成」は28%で、賛成派はあわせても発議に必要な3分の2を下回っている。05年の同趣旨の設問の場合は、72%、15%で、積極的改憲派は半減している。民主の当選議員においては、16%、30%で、賛成派は半数以下になり、積極的賛成派は3分の1に減少した(前回は50%)。なお、自民党当選者の場合は、75%、21%である。もちろん、なお民主党の動向に警戒は必要だが、自民党と比較するとその差は大きい。9月1日(火曜日)、朝刊。
(7)次の著書で、新憲法試案を公表している。鳩山由紀夫『新憲法試案――尊厳ある日本を創る』(PHP研究所、2005年)。
admin @ 9月 3, 2009